ないえのあゆみ

開拓と奈江村の誕生

 明治3年、伊達邦直は、土地調査のため上陸し、ナヱイとナヱ川両川口に標杭を立て開拓の準備にとりかかった。明治19年、上川仮道路(現在の国道12号線)開通、同22年には駅逓が設置される。
 明治23年滝川村の一部を分離、奈井江町の母村である奈江村が誕生する。
 鉄道の開通と奈江原野殖民区画の完成により、移住地の下検分など移民入植の気運が高まり、奈江村はいよいよ活況を呈する。
 明治28年奈江村より奈江独立戸長役場を設立、12月には奈井江炭坑が発見され、試掘が始まった。この独立を契機に現在の奈井江町へと大きく胎動を始めることとなった。
 明治36年には、奈江村が砂川村と改称される。

奈井江分村の動き

 大正12年、町制施行により砂川村は砂川町となる。この時の奈井江市街の人口は1,100人、世帯数は226戸であった。昭和11年、奈井江を砂川町より分村させようという動きが活発化し、奈井江分村同盟を結成。昭和13年、住友鉱業は大々的に採炭事業に着手し、奈井江は石炭のまちとしての活況を呈し始め、分村への合意はさらに強いものとなる。

奈井江村の誕生、炭鉱の閉山

 昭和19年、砂川町より分村して奈井江村として誕生。
 新生なった奈井江村は、4月に第1回の村議会議員選挙を執行し、18名の議員を選出。初代村長に北勝太郎が就任。
 昭和25年に町制施行される。町づくりの基盤事業着々と進められ、道路、橋梁工事等、整備事業も逐次進められる。しかし、石炭産業の不振により、炭鉱の閉山が相次いでいたが昭和47年には奈井江町最後の炭鉱、石狩炭鉱が爆発、死者31名を出し閉山。奈井江のヤマの灯はすべて消えることになる。

農商工一体のまちづくりへとさらに前進

 開拓以来、町の基幹産業として歩みつづけた農業は良質の米作りに加え、振興作物の安定生産を目指し、魅力ある農業、変化に強い農業に果敢に挑戦する。町の企業誘致に応え、工業適地に企業も進出し、町の形態も大きく変貌する。また、空知団地の造成によりさらに工業のまちとして躍進が期待される。
 分村から50年にあたる平成6年を町では「福祉元年」とし、『おもいやり明日へ』をテーマとして保健・医療・福祉に重点をおき、健康と福祉のまちとして、この年から福祉の先進国・フィンランドハウスヤルビ町と友好都市を提携し相互派遣を行っている。
 医療と福祉の先進地となるべく、町立病院の地元診療所との連携による開放型共同利用や老人総合福祉施設、高齢者生活福祉センター等を展開。また、介護保険の広域連合としては全国初の「空知中部広域連合」の中心となっており、豊かで文化的な暮らしやすいまちとして着実に発展している。
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